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愛の奇跡

北朝鮮・興南収容所の真実  武田吉郎 竹谷亘生 共著

はじめに── 最も迫害された人


文鮮明師はこれまで実に六回、収監された。その獄中期間は次のとおりである。

 第一回、一九四四年十月〜一九四五年二月
 第二回、一九四五年十月下旬(約一週間)
 第三回、一九四六年八月十一日〜十一月二十一日
 第四回、一九四八年二月二十二日〜一九五〇年十月十四日
 第五回、一九五五年七月四日〜十月四日
 第六回、一九八四年七月二十日〜一九八五年八月二十日

韓国、北朝鮮、米国の三力国で投獄された。

 この六回にのぼる収監は特別な意味を持っている。というのは、これらの投獄は個人的に避けようとすれば、ほとんどが収監されずに済んだからだ。文師は神の名において獄中生活を甘受したのであった。

 一九九三年九月、文師の夫人、韓鶴子女史は東京ドームで行われた「世界平和女性連合」の大会で五万人の参加者を前にして、涙を流しながら次のように語られた。

 「過去数十年のことを考えれば、夫は言うに言えない無理解の中で生きてきました。北朝鮮では共産政権の下で、三年間強制収容所に囚われ、その後も神の仕事を続ける中、無実の罪で六回も獄中生活をしたのです。

 そればかりでなく、言論界は夫が『自分個人の利益のために、若者たちを洗脳する悪魔のような者だ』とあざけり、悪評判を広めてきました。

 皆様の中に『文鮮明師こそ、全世界的に、最も多くの迫害を受けた宗教指導者である』と言えば、これに異議を申し立てる人がいるでしょうか」

 六回の獄中生活の中でも「三大刑務所生活」といわれるのが、第四回から第六回までの獄中生活である。

 今回、本書で紹介するのは、四回目に収監された興南(北朝鮮)の収容所についてである。

 逮捕から解放までの期間が二年八ヵ月間と六回の収監の中で一番長い。

 文師は、北朝鮮で囚われたが、その理由は、南韓(李承晩)のスパイの嫌疑をかけられたことと、社会秩序を混乱させたということであった。既成のキリスト教会は信徒が文師の集会につぎつぎに参加していくことをねたみ、共産党当局(北朝鮮人民委員会)に投書したことがきっかけになった。

 文師は一年で半分以上が死んでいく地獄のような興南刑務所で、最も過酷な強制労働に服し、生死をさまよった。

 わずかな食料による飢えと厳しい強制労働のため、興南の収容所で暮らす囚人たちの太ももは、たちまち子供の太ももよりも細くなり死人のようになった。多くの囚人が収容所から仕事場に向かう途中、力が入らず、何度も足が曲がって満足に歩けないほどだった。

 このような厳しい環境の中で、文師は囚人たちが最も嫌がるつらい仕事を率先してやった。時にはマラリアにかかり高熱のためフラフラになりながらも、一日の労働のノルマを全うした。

 自分のこと以外、到底何も考えることなどできない状況下で、文師は平壌に残してきた信徒のために毎日祈り続けた。このような死が目前に迫る悲惨な環境では、父母でも子供のために祈ることは困難である。

 文師は、自分の子供でもない、血のつながりのない信徒たちのためになぜ、獄中から熱い祈りをささげつづけることができたのであろうか。

 父母でもなかなかできない、こうした愛の業をやり遂げたとすれば、その人はまさに人類にとって“真の父母”といえるのではないか。

 文師夫妻はいま、真の父母という名で世界的に知られている。

 本書を企画した一つの大きな出会いがあった。それは約半世紀前、文師と共に同じ興南の監房で一年ほど過ごした金仁鎬氏に直接取材できたことだ。その中で金氏は驚くべき獄中での文師の姿を数々証言してくれた。

 苦難の詳細は文師自らあまり語られないため、秘められている部分も多いが、生き証人の金氏をはじめ各方面に取材し、文師の興南収容所での実相に迫った。

 なお、第一部は武田吉郎が、第二部は竹谷亘生が担当した。

一九九五年八月一日    著者






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