祝福の意義と価値 目次

祝福の意義と価値 (40日研修会教材シリーズNo.11)

祝福の意義と価値

 はじめに


 近年、少年の非行化、登校拒否、犯罪の凶悪化等が進み、深刻な社会問題となっています。これらの主たる原因が家庭環境にあり、夫婦の不和や破綻、親子の断絶といった家庭崩壊の増大と密接に関わっていることは、大方の一致した見方です。しかし、家庭に原因があることは分かっていながら、どう対処してよいかとまどい、他に助けを求めても、明確な解答を得ることができず、手をこまねいているしかないというのが実情です。

 お互いに愛し合って出発した夫婦の愛が時の経過とともに冷え切り、愛の結晶として、お腹を痛めて生んだ子供とも、成長するにつれて対話が途絶え、心が通じなくなっていくというのは、何という悲劇でしょうか。幸福と喜びと生きがいの基地であるべき家庭が、皮肉にも不幸と苦悩と犯罪の温床になっています。

 このような家庭の状況を見る限り、そこに結婚の積極的意義を見いだすことは到底できません。今日の青年たちの中には、結婚は当然すべきものという考えは薄れてきており、あえて結婚しなくてもよいと考える層が増えてきています。

 このまま進行すれば、やがては結婚せず、家庭を持たないで、気の合った男女が一時的に同棲するといった状態が一般的風潮となる時も遠くないでしょう。そうなれば、愛が渇ききり、不信と不安が支配する地獄のような社会になることは必至です。

 では、こうした家庭の悲劇は何に起因するのでしょうか。家庭は男女の結婚から出発します。最初のボタンをかけ間違えれば、後にいかなる方法を用いても、正常に戻すことは不可能です。結局、結婚の在り方、男女の在り方そのものに問題があるといわざるを得ません。

 現在は、両性の自由意志に基づいた自由結婚が世界の風潮であって、それが最も理想的形態であると多くの人々は考えています。しかし、その自由結婚による結果が今日の家庭崩壊をもたらしていることも否定できない事実です。自由といえば響きがよいものですが、一皮むけば、自己中心の欲望と野放図な男女の愛による勝手気ままな結婚といっても過言ではありません。自由は本来責任を伴うものですが、夫婦が個人的欲望と事情で平気で離婚する姿には、責任のかけらも見いだすことができません。

 社会や国に対して、さらには、未来の子孫に対して、どのように責任を負っていこうというのでしょうか。残念ながら、そうした意識はほとんど見受けられません。世界と未来に対する何らの展望もなく、その時の一時的愛と理想と希望によって結婚しているにすぎないのです。今や自由結婚に、何の希望も見いだすことはできません。

 このような時に、文鮮明先生によって「祝福」という理想的男女の愛、本来的な結婚の道が示されたということは人類にとって最大の福音であるといえます。

 本著は文先生が語られたみ言を骨格として「祝福」に関する基本的内容をまとめたものです。皆様が祝福を受けていくうえで一助となれば幸いです。




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