久保木修身回顧録「愛天 愛国 愛人」目次へ

第二部 世界平和への道すじ

 これまで約三十年にわたり、私は日本全国を走り回りながら、数千回もの講演を行ってきました。その講演の内容は、おおざっぱに言って三つの柱から成り立っています。一つは、共産主義に関するものです。共産主義の誤りとその脅威、さらにその崩壊の予言でした。二つ目は、東アジア時代の到来に関するものです。三つ目は、日本の進路に関するものです。明治維新後百二十年を過ぎれば、つまり一九八八年ころには日本の命運は衰退に向かうという予言です。

 今日、一九九〇年代の半ばを越え、この三十年間を振り返ってみますと、これら三つの観点はどれも的中してきたと自負しております。しかしながら、同時になにかしら恐ろしいものを感じます。なぜなら、私にこれらの予言を教示してくださった文鮮明先生が、日本の将来をきわめて危惧しておられるからです。

 一九八八年をピークに日本は衰退に向かうという予言も、実は条件付きのものでした。日本の繁栄を世界平和に役立てることができたなら、この予言は成就しないということです。しかし、これまでの日本の内外の情勢を見てみますと、日本の命運は文鮮明先生の危惧しておられる方向に流れているようです。

 文先生の日本に関する見解は、簡潔に言いますと、こうです。「日本の繁栄は日本に天的使命があるためである。その使命を果たさなければ、日本は衰退する。その衰退は経済的衰退にとどまらず、精神的衰退に及び、国家は滅亡の危機に瀕する」。

 今私は予言が成就したと言って満足していられません。むしろ、これからは予言の成就を阻止するために、私は日本に警告を発していかねばならないと思っています。そのために三つの予言の意味するところをもう一度確認しながら、二十一世紀を目前にして世界はどのような方向に行こうとしているのか、その潮流を探ってみたいのです。それを探ることが文鮮明先生が言われる「日本の天的使命」を果たす第一歩であるはずだからです。


「共産主義崩壊」の予言

共産主義は七十年を越えられない

 一九八九年秋、ポーランドにおいて東欧初の非共産主義政権が樹立されるや否や、ワルシャワ条約機構内の共産党政権が次々に崩壊していきました。その後冷戦のシンボルであった東西ドイツが統一し、共産主義世界のメッカたるソビエト連邦までも崩壊してしまいました。これら一連の世紀の大事件は、驚きと戸惑いをもって報道されました。私の知人で国際政治を教えるある著名な大学教授は、従来の古い教科書が使えなくなったと言って嘆いていました。予想を超えた世界的規模の大変革に向かう心構えができていなかったのです。

 私は、この一連の報道に接しながら、「とうとう来るべきときが来たな」という感じで受け止めていました。というのも、二十年以上も昔から文先生は聖書の奥義の深い理解に基づいて、「共産主義の活動期間は七十年を越えることができない」と予言しておられたからです。ロシア革命が起きて、ソ連が建国したのが一九一七年です。それから七十年ですから一九八七年がソ連の崩壊期ということです。ゴルバチョフ大統領が登場したのが一九八五年で、彼の推進したペレストロイカとグラスノスチ政策が定着したのがこの八七年でした。この時から五年もたたないうちに、ソビエト連邦は跡形もなくこの地上から消滅してしまいました。

 聖書の中に、イスラエル解放の指導者モーセが民族とともに紅海に差しかかった時、杖を手にとって海を分ける奇跡の話があります。少しオーバーな表現かもしれませんが、東欧諸国の民主化のドミノ現象から始まった共産主義世界の崩壊過程は、私にとってまさにモーセの奇跡を見るような感じでありました。


共産主義の本質は憎悪と無神論

 共産主義はなぜ崩壊したのでしょうか。すでに数多くの見解が出されています。一つは計画経済の限界。共産主義世界では、中央政府が末端の工場の生産までも管理していました。こうした計画経済が、効率的に機能するはずがないことは明らかです。

 また政治的には、共産党一党独裁で国民に政治的な自由を与えず、反対する者を次々に粛清してきました。その結果、自由を抑圧された国民の不満は頂点に達していました。

 さらに民族問題です。共産主義によって民族問題が解決したというのは建前で、実のところそれは力で抑えつけられた安定であったことが今日明らかになりました。そのほかにも軍事費の突出による経済の破綻や赤い貴族といわれたノーメンクラツーラの存在などが挙げられています。

 しかし、これらのどれも私には表層的な指摘に思えてなりません。私が長年「勝共」を叫びながら訴え続けてきたことは、「共産主義の本質は憎悪と無神論である」という点でありました。この本質をしっかりとらえておかなければ、共産主義崩壊とそれに続く新しい時代、つまり二十一世紀の方向を見誤ることになりかねません。

 共産主義理論を構築したマルクスは十八歳の時、「絶望者の祈り」と題する詩を書きました。その一部を紹介します。

  神が俺に、運命の呪いとクビキだけを残して何から何まで取り上げて、
  神の世界はみんな、みんな、なくなっても、
  まだ一つだけ残っている、それは復讐だ!
  俺は自分自身に向かって堂々と復讐したい。
  高い所に君臨しているあの者に復讐したい。
  俺の力が、弱さのつぎはぎ細工であるにしろ、
  俺の善そのものが報いられないにしろ、それが何だ!
  一つの国を俺は建てたいんだ、
  …………………………

 この詩に流れる神への復讐心こそ、マルクスが『資本論』を書き上げる際の心情的下敷きになったものなのです。マルクスが育った十九世紀のヨーロッパは、イギリスで始まった産業革命の波及により、豊かな富を満喫していました。しかし、一方では自由競争の名を借りた弱肉強食の世界がはびこり、貧富の格差が拡大し、資本家の労働者に対する搾取が目に余るようになりました。

 正義感の強いマルクスは、こうした状況の中で弱者解放のための思想構築を始めたのです。それゆえに彼の思想は、資本家に対する怨念と富める者つまり恵まれた者に対する憎しみに溢れています。さらにそれはこうした現状を見て見ぬふりをするキリスト教会と、神に対する憎悪となっていきました。

 共産主義は単なるイデオロギーではありません。人間の理性と感情に訴える「疑似宗教」の様相を呈しています。しかし、憎悪を下敷きにした「疑似宗教」で世界を救うことができたのでしょうか。「プロレタリアート解放」の旗印のもとに行われた革命は、以前よりはるかに無慈悲な権力階級の出現を許したにすぎなかったのです。結局憎悪は新たな憎悪を生むだけであり、復讐による行為は新たな敵を作るだけであることは、共産主義世界の歴史を見れば明らかです。

 また、マルクスの憎悪の究極的対象は、十八歳の時に作った詩に明らかなように、神であります。悩める貧民の救済に沈黙を続ける神に対して、絶えず憎悪の感情を燃やしたのです。彼は共産主義理論の中で神を完全に葬り去ろうとしました。社会的弱者に救いの手を差し伸べない神を思想の中で抹殺しようと試みたのです。唯物弁証法、唯物史観は神を除外して世界を説明しようとした理論にほかなりません。ロシア革命の成功は、マルクスによる神暗殺理論(無神論思想)の勝利のように思われました。しかし神を殺した共産主義世界は一世紀も生きることができずに消滅してしまいました。

 神を憎悪し、神を抹殺した共産主義の人間観は、ダーウィンの進化論に基づいています。人間の人間らしい第一の基本条件を労働(生産活動)とします。つまり猿が労働することによって人間になったのであり、人間の精神活動も物質である脳の作用から派生した二次的なものにすぎないと言うのです。こうした人間観からは、人間の存在そのものに対する尊厳性を保証する哲学が出てこないのは明白です。

 共産主義者はこのような人間観に基づいて、労働者の側に立つ者のみの人格を認め、反対する者の人格を否定しました。共産主義の世界で数多くの人々が粛清されたのも、こうした無神論思想が背景となっていることは間違いありません。

 共産主義の特徴の一つに計画経済があります。この計画経済は、つまるところ人間理性に対する過信の結果と見てさしつかえないと思います。市場経済を神の見えざる手に委ねようとした自由経済と対照的です。

 しかし、人間の理性が国家のすべての経済活動を管理することは不可能です。ソ連の経済破綻はそのことを物語っています。神を否定した結果、不確かな人間の理性に対する過剰な期待を生みました。しかしそれは裏切られる運命にあったのです。科学の進歩や社会の発展は、常に従来の人間理性の否定の上になされてきました。人間理性をよりどころとする計画経済は、社会の進展について行くことができなかったのです。


人間の本質を無視した共産主義

 私がここで申し上げたいことは、結局、共産主義理論は人間の本質を無視して成り立っているということです。神を否定した人権思想、憎悪を根に持つ労働者の団結。これらはすべて欺瞞です。人間の尊厳は崇高なる神から賦与されたものであると考えるのが本来の人権思想です。また憎悪に裏づけられた労働者の解放は、復讐を引き起こします。虐殺と粛清は新たな憎悪と復讐を生み出すばかりで、本質的な社会の変革は不可能です。レーニンによるロシア革命も、毛沢東による中国共産革命も、当時の弱者であった労働者や農民を解放した結果、新たな不満分子を生み出したにすぎなかったのです。革命は幻想でした。本質的には何も変わっていなかったのです。それは人間の本質を無視したためです。

 私が日本で勝共運動を始めたのは一九六〇年代後半でしたが、そのころ日本では大学界を中心として共産主義旋風が巻き起こっていました。共産主義を学ばざる者、学生にあらずという雰囲気でした。そういうムードに逆らいながら、当時私ども勝共の学生たちは、学内で学生啓蒙を続け、共産主義者たちと論争を繰り返していました。共産主義者たちの見解は、人間が不幸なのは社会の体制、つまり資本主義体制の矛盾による、よってこれを打倒しなければならないというものです。社会革命論です。

 それに対して、勝共の学生たちは、人間が不幸なのは人間自身の精神のあり方に問題がある、つまり人間の精神、あるいはエゴイズムが変わらないと幸福にはなれないというものでした。こうした精神変革論は、当時はきわめて少数派で、大半の学生は共産主義の社会革命論に同調していました。

 しかし、今日の共産主義世界の崩壊は、結局当時の共産主義者の見解より、我々が主張していた精神変革論に妥当性があったことを教えています。共産主義は実は何も変えることができなかったのです。それは、社会を構成する人間自身を変える哲学ではなかったからです。


宗教の役割

 共産主義の本質は憎悪と無神論であると述べてきました。その共産主義が崩壊したということは、その本質自体に問題があったと言えるでしょう。無神論を掲げた共産主義による世紀の実験は完全な失敗でした。その教訓は、人間の力だけに頼って理想世界を実現することはできないということです。

 旧約聖書に出てくるバベルの塔の話をご存じと思います。人間たちが自己の力を過信して、天の頂に達する塔を建てようとしました。しかしそのことは逆に天の怒りに触れ、人々の心が互いに通じ合えなくなって、塔も崩れてしまったということです。共産主義の実験とは、近代的な装いを整えて現代に現れたバベルの塔の再建運動であったようです。それらは天の怒りに触れ、脆くも潰えてしまいました。

 人間は常に環境を規定しながら生活しています。文字を書こうとしたら、鉛筆と紙を用意します。それらはそれらを必要とする人間によって規定されているのです。こうした環境世界を規定する人間の能力が、今日までの素晴らしい文明を作りあげてきたことは言うまでもありません。しかし、私たちが生きるうえでもっと大切なことがあります。それは私たちが環境を規定して生存してきたように、もしかしたら私たち自身も何者かによって規定されている存在なのかもしれないということです。

 人間が己の意志で己の生命を出発させたのではない以上、私たちを規定している存在、つまり私たちの原因的意志があるはずだと考えるべきではないでしょうか。自己の環境世界を規定することには熱心で、自己を規定している存在に対する配慮を忘れることは、傲慢というものです。無神論を徹頭徹尾貫いた共産主義は、人間の傲慢さが生み出した最高傑作とも言えます。

 それに対して、宗教の道は「人間以上の存在(神)」とのかかわりを第一義に置きます。自己の無力さを自覚し、神に帰ることを説きます。神あるいは仏による救済なしに自己の存在はありえないことを悟るのです。つまり「生きる」ということの本質は「生かされている」ということなのです。ですから感謝の心で生きることを教えます。生かされている喜びを他者と分かち合うことが愛なのです。キリストはそれを隣人愛と呼び、お釈迦様は慈悲と呼び、孔子は仁と呼びました。これらはみな同じものです。

 仏教哲学の権威であられる中村元先生(東京大学名誉教授)は、仏教の本質は無私と慈悲であると言っておられました。自分以上の存在に帰依することにより、己を無くするということ、また慈しみの心をもって他者に接するということが仏教の本質だということです。

 キリストも同じようなことを言っています。一番大切なことは神を愛すること、二番目は隣人を愛することと言っています。これら宗教の先達たちが示した道は共産主義の生き方と全く対極に位置します。共産主義の本質は無神論と憎悪です。理想実現の方法は社会革命です。

 宗教は神あるいは仏に帰依することを説き、愛や慈悲を教えます。理想実現の方法はまず自己の内的変革です。共産主義が崩壊した今日、こうした価値観を有する宗教が大きな役割を果たす時がやってきたと言っても過言ではないと思います。


二十一世紀は宗教の時代

 二十世紀とは一体どんな世紀だったのでしょうか。アメリカのカーター政権の時の特別補佐官だったブレジンスキー教授(ジョンズ・ホプキンス大学)は、『大いなる失敗』という本の中で、二十世紀は共産主義の誕生と死滅を目撃した世紀であると言っています。まさに世界は、共産主義によって翻弄されました。神を否定し、人間理性を過信した理想主義の結末は、あまりにもあっけないものでした。その達成した成果はあまりにも小さく、もたらした犠牲は多大なものでした。教授は共産主義について、こう述べています。「おおかた二十世紀の最も異常な政治・思想上の脱線現象として記憶されるにすぎないだろう」と。

 私たちは共産主義の死滅を目撃しました。そこから何か後世に残しうる教訓を酌み取らなければ、また同じ失敗を人類は繰り返します。冷戦の敗者は決まっても、勝者をまだ特定することはできません。

 教授はこの本の最後に、「二十世紀、人類は共産主義と遭遇し、大きな被害を受けた。苦い経験ではあったが、非常に重要な教訓を、学んだ。政治によってユートピア社会を建設しようという試みは、現実の複雑な状況と基本的に相容れないものである」と結んでいます。

 政治によるユートピア実現は不可能です。社会の体制を変えても、人間自身のエゴイズムが変わらなければ、形を変えて悪がはびこります。競争社会における利己主義者は、平等社会に変わったら今度は怠けて同等の賃金を得ようとするでしょう。本質は何も変わっていません。

 キリストは「神の国は一人ひとりの心の中にある」と言いました。ユートピアは精神の問題であり、心のあり方で決まります。そしてそのことを問題にしてきたのが、宗教そのものなのです。

 二十世紀は共産主義の世紀でした。二十一世紀はその終了とともに始まるなら、共産主義の失敗を教訓としなければなりません。共産主義の本質は何度も繰り返しますが、無神論と憎悪です。その反省に立つならば、二十一世紀は「神の時代」あるいは「宗教の時代」または「心の時代」、そして「真実の愛の時代」と言えるのではないでしょうか。


東西問題と南北問題の根は同じ

 さて、東西問題とは東ドイツと西ドイツに象徴される東側陣営と西側陣営との対立問題でした。いわゆる冷戦構造を言います。東側陣営つまり共産主義陣営の崩壊により、冷戦構造は崩壊し、東西問題は終わったといわれています。本当にそうでしょうか。確かに「計画対市場」とか「一党独裁対民主主義」といった経済・政治上の対立には決着がついたのかもしれません。しかし、共産主義理論そのものが人類に突きつけた問題提起はいまだ未解決のままです。

 共産主義はそもそもなぜ誕生したのでしょうか。十九世紀のヨーロッパは、産業革命のおかげで莫大な富の蓄積に成功しました。しかしその富は一部の資本家に集中し、国民の大半は相変わらず貧困と過重労働に甘んじなければなりませんでした。「持てる者」と「持たざる者」との対立が決定的になりました。正義感の強い人間であればあるほど、「持たざる者」に同情し「持てる者」を憎悪しました。マルクスもその一人です。もしこの時「持てる者」が「持たざる者」を搾取することなく、彼らを労わり、彼らを家族のように扱って、適正な分配を行っていたらどうでしょうか。共産主義は生まれなくてもよかったのです。

 人間の能力に平等はありません。それゆえに「指導する者」と「される者」、「金儲けのうまい者」と「下手な者」つまり「持てる者」と「持たざる者」に分かれるのは当然です。しかし問題はこうした不平等自体にあるのではありません。能力のある人間や社会の上に立つ人間あるいは恵まれた者たちが、そうでない人たちにどう接するかが問われているのです。宗教的な言葉で言えば、「神の祝福を受けた者」は「神の祝福を受けざる者」に対して責任があるということです。自分に与えられた能力と環境を最大限生かしながら、愛を実践することが恵まれた者たちの責任分担なのです。

 神は恵まれた者たちの恵まれざる者に対する愛に期待して、恵まれざる者に祝福を与えようとなさっているに違いありません。金持ちは儲けた金で愛を実践すべきです。知識人は自分の知識をもって社会に貢献すべきなのです。「神の祝福を受けた者」がこうした己の責任を忘れ、自己の私利私欲に溺れるならば、「神の祝福を受けざる者」によって、滅ぼされていくのです。これが天罰です。

 こういう観点から見るならば、共産主義は生まれる必要がなかったのです。「持てる者」が「持たざる者」に対して責任を果たしていれば、「持たざる者」の告発は避けられたはずなのです。さて、今日共産主義世界はほぼ崩壊しました。しかし、マルクスが提起した問題自体ははたして解決しているのでしょうか。「持たざる者」の告発がなくなってしまうような時代が来ているのでしょうか。

 恵まれた者たちの責任が果たされているようには、私には思えません。厳密な意味で共産主義問題はまだ未解決なのです。共産主義を力や理論だけで撲滅することはできません。

 勝共の目的は共産主義を撲滅することですが、それは勝共の理念で共産主義の誤りを正すとともに、愛の実践によってなそうというのです。それは共産主義という存在が意味をなくする社会を作ることなのです。すなわち、理念として共産主義がなくなっても、恵まれた者に対する告発がなくならない限り、形を変えた共産主義が再現するだけです。社会の上に立つ者たちの愛とモラルが問題なのです。

 南北問題も問題の根っこは同じです。地球の北側にある先進国家と南側に多い後進国家の対立問題です。「持てる国家」と「持たざる国家」の問題は東西問題と全く同じ問題です。神から恵まれた国々が、いまだ恵まれざる国々に対して責任があるということです。結局、恵まれた国々の愛とモラルが問題になります。人類が二十一世紀に残していかざるを得ない最大の問題の一つに、この南北問題が挙げられています。

 大切なことは、この問題はマルクスが人類に突きつけた問題の延長であるということです。共産主義問題が人間の本質に立ち返らなければ解決されないように、南北問題も本質的な解決が求められます。つまり精神変革、人間改造と言ってもいいでしょう。



「東アジアの時代到来」予言の意味

文明は「アジア太平洋文明」で結実

 文鮮明先生が一九四五年に韓国で宣教活動を開始して以来、一貫して語り続けてこられた文明史に関する見解があります。文明の出発はナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心とした河川文明でした。それから文明はギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルなどの地中海文明に移行しました。そしてさらにイギリス、アメリカを中心とした大西洋文明を経由して、今日はアメリカ、日本、韓国、さらには中国大陸に至るアジア太平洋文明として結実しつつあるという文明史観です。

 一九四五年と言えば、太平洋戦争が終了し、日本をはじめアジア各国は焦土と化していました。敗戦国日本は占領軍の統制下にあり、韓半島は三八度線を境に北側がソ連軍、南側は米軍のそれぞれ管理下にありました。中国は国民党と共産党の内戦が四九年まで継続しました。東アジアはまさに絶望的状況下にあったのです。当時にあって、誰が今日の日本の繁栄あるいは東アジアの発展を想像することができたでしょうか。しかし文先生はその当時少人数の弟子たちを前にして、「アジアの時代が来るということは、神の経綸の中にあった」と、東アジア時代の到来を熱っぽく語り続けていました。


内村鑑三に見る日本の天職

 内村鑑三は明治時代に生きた日本の代表的クリスチャンです。科学者でもありました。彼の学問する姿勢は、人間を取り巻く森羅万象から神の意図を探ろうというものです。そのため彼はあらゆるものに関心を向けました。彼が書いた『地人論』という論文の中に「日本の地理とその天職」という一文があります。ここで彼は日本の地理を論じながら、神が日本にいかなる使命を与えたかということを述べています。そこに大変面白いことが書かれているので紹介いたします。

 日本の海岸線を見ると、太平洋側に入り組んだ湾が多いと内村は言います。こうした海岸は良港に適していると論じながら、結局日本の港は東に開いているとしています。一方日本海側は比較的平坦な海岸線で、良港は少ない。しかし例外が下関や長崎などの西の外れの海岸線であり、これらの港は西に向かって開かれていると言います。このことから内村は日本の天職をこう断じます。日本の位置はアメリカとアジアの間にあり、この両大陸を太平洋上において連結することである。つまり日本の天職は西洋と東洋の媒介者であるということです。

 内村のこの地理学から見た日本の天職論が、ずいぶん時代遅れであることは間違いありません。飛行機が世界中を飛び交う時代に港の良しあしで、日本の天職を論ずることはできないことは明らかです。ただ時代が明治であったことを勘案してください。私は内村の考えがその根拠はどうあれ、今日でも十分通用するものであると考えています。否むしろ今日こそ通用すると言ってもいいかもしれません。

 ギリシャ・ローマの文明はキリスト教と合体してヨーロッパ文明を形成し、それがイギリスやアメリカで結実してきました。内村の見解に則して言えば、こうした西洋文明を吸収する役割を担っているのが日本であるということになります。それから日本は吸収した西洋文明を韓半島を通して大陸につなげなければならないのです。しかしそれだけではありません。日本は中国大陸や韓半島から受け継いだアジアの文明をアメリカやヨーロッパに伝える使命があるとも言えるでしょう。


東アジアの経済成長とアメリカの役割

 第二次世界大戦が終了してから今日に至るまでの日本の繁栄や最近の東アジア諸国の経済的成長を見れば、内村の見解はかなり妥当なものだと言っていいでしょう。戦後、日本は軍事的にも経済的にも、アメリカの傘のもとに入りました。戦後の繁栄はその結果であることは議論の余地がありません。つまりアメリカの保護下の繁栄でした。アメリカも共産主義勢力のアジア侵攻を防ぐ一つの防波堤として日本を必要としていたのです。

 日本が西洋文明の結実を継承するうえでこうした環境がプラスに作用したのは言うまでもありません。誤解を恐れずに言えば、敗戦によりどん底に落ち込んだがゆえに日本はアメリカから素直にすべてを吸収できたのではないでしょうか。敗戦体験により日本人は戦前の傲慢さを捨て、謙虚になることができたに違いありません。その体験により日本が文明史の大きな流れの一翼を担うことができるようになったとすれば、これも神の経綸であったと見れないこともありません。

 日本に引きずられるようにして、アジアNIES(新興工業経済地域)、アセアン(東南アジア諸国連合)地域の発展は目を見張るものがありました。経済学者はこれを雁が群れをなして飛ぶ姿になぞらえて、「雁行型経済発展」と呼んだり、「重層的追跡発展過程」と言っています。これに脅威を感じたヨーロッパの国々がEC(欧州共同体)(現在はEU=欧州連合)統合を加速させたと言われています。この群れに今日では共産主義国家であった中国やベトナムが加わり始めたのですから、西洋人から黄禍論が出てきても不思議ではありません。二十一世紀初頭には中国が世界一の経済大国になるという予測まで飛び出しました。

 こうした東アジアの国々の経済成長を牽引したのは日本です。特に八五年のプラザ合意以降における円高傾向が、日本の生産基地のアジア移転を促しました。しかしそれだけでアジアがこれほど急成長したわけではありません。アジアの国々の製品を快く買ってくれる国が必要でした。それがアメリカです。アメリカがアブゾーバー(吸収者)の役割を担ってくれたおかげなのです。つまりアメリカの保護のもとで、成長の先陣を切った日本が他のアジアの国々を引っ張っているという図式です。日本の繁栄にしても東アジアの成長にしても、アメリカの存在が決定的であったことは間違いありません。


「アジア太平洋文明」の二つの意味

 文鮮明先生が言われる「アジア太平洋文明」には、二つの意味があるように思います。一つには、今述べたように、日本をはじめとする東アジア地域が、アメリカ経由の西洋文明を継承する契機であるという点です。文先生は、二十一世紀はアジア太平洋時代を経由して、東アジアの時代となることを予見しています。その時代を作る要となるのが日本と韓国と中国です。文先生はよく「中国は長男で、韓国が次男、日本は三男」という言い方をされます。かつて日本は常に中国の文物を韓半島を通して受容してきました。中国や韓国は文化的には日本の先輩に当たるのです。

 この両者から日本はどれほどの恩恵を受けてきたか計りようがないほどです。これからは、日本が韓国と中国にお返しをする番です。単なる経済的な進出では、形を変えた侵略と取られるのがおちです。感謝の気持ちと尊敬心を持ちながら、かつ共に栄える道を探ることが必要です。この三カ国の友好の度合いが、東アジア時代を決定づけることでしょう。

 「アジア太平洋文明」のもう一つの意味は、地球文明に至る契機であるという点です。二十一世紀は東アジアの時代になるでしょう。それは、東アジアは世界の文明の最先端に位置し、二十一世紀の地球文明の牽引者となるということであって、世界の覇権を握るということではありません。

 覇権の時代は冷戦の終了とともに終わりました。否終わらせなければなりません。東アジアの時代は経済力や軍事力が幅を利かす時代ではありません。アジア的なものの見方・考え方が、世界に浸透する時代でもあるでしょう。つまりアジアから欧米に向けて発信する時代なのです。アジア人の持っている良さが、二十一世紀に生きる世界の人々に必要となるということです。

 つまり、アジア太平洋地域は西回りで来た西洋文明が東洋と出会うところであり、アジアに温存されていたアジア的な価値観が西洋と出会うところでもあります。西洋と東洋が出会う場です。これがおそらく地球文明の出発点であろうと思います。


アジア的なものの見方

 アジア的なものの見方とはどんなものでしょうか。アジアと言っても大変広い地域にわたっていますし、考え方や価値観が多種多様に及びますから、これを説明するのは大変困難なことです。しかし、大まかな傾向があるように思います。それを西洋との比較でとらえてみることにします。

 西洋のもののとらえ方には、分析的な傾向があります。物事の本質あるいは実体を正確に把握するには、より小さい単位の構成要素を探そうという姿勢です。こういうとらえ方を「要素還元主義」といって、特に物理学の方法論などに採用されています。物質の構成要素は分子である。では分子は何からできているかというと、原子だ。原子はまた素粒子から成り立っている。素粒子はクォークからできている。つまり最小単位の構成要素を探せば、全体を正確にとらえられるという発想です。これを分析的態度と言います。

 しかし、東洋にはこうした分析的発想の経験はあまりないようです。むしろ物事をトータルに把握しようとする傾向が強いように思います。顕著なのは東洋医学でしょう。西洋医学ですと、胃が悪ければ胃を治そうとします。あるいは胃を取ってしまいます。東洋医学の発想は、胃が悪いのは体全体の問題が胃に表れたとみます。ですから、胃を治そうという発想ではなく、体全体のバランスを回復させようとします。体が本来持っている治癒機能を信頼するからです。西洋人にツボの話をしてもなかなか信じません。迷信だと言って退けてしまう人が多いようです。東洋人は体を全体的に把握し、相互の機能の有機的関連に強い関心を向けてきたように思います。東洋人は全体の中に個があると発想し、西洋人は個によって全体が成り立っていると発想しているようです。

 こうした発想の傾向は当然、社会システムの中にも表れてきました。西洋では社会を構成している最小単位は、一個の人間であるということで、個人主義が発展していきました。ここから人間の自由や、基本的人権という発想が出てきたものと思われます。それに対して東洋に根づいていたのは、個人主義ではなくむしろ家族主義と言うべきものです。

 個人主義も人間の自由という発想も、もともとアジアには馴染みの薄いものです。アジアでは家族を単位と考えるため、会社も国家も世界も家族の延長というとらえ方です。こうしたアジア的な発想が、個人主義をベースにした欧米の民主主義と摩擦の原因になることも少なくありません。

 アジア的なものの見方は、へたをすると独裁や暴君を生む土壌となります。かと言って行きすぎた個人主義は、個人の単なるわがままを放置することにもなりかねません。その結末は、家庭の崩壊と社会の無秩序です。こうした全体と個の関係性は歴史的大問題でした。

 しかし最近の傾向としては、西洋的なものの見方により、西洋自体が徐々に勢いを失っている現状から、アジア的な見方を見直してみようという動きがあるように思えます。

 科学の分野でも生命現象は単なる分析的方法ではとらえられなくなりました。家庭は個人と個人の契約によって成り立つという発想では、崩壊を食い止めることはできません。家庭や社会や国家あるいは世界を強く結びつける理念を、時代は求めているようです。その時、個人主義を標榜する西洋よりは、家族主義を下敷きにして個よりも全体に重心を置く東洋の理念にモデルがあるのかもしれません。


「明治以後百二十年で日本は衰退」の予言の意味

一九八八年が日本の運勢のピーク

 日本は一八六八年に明治維新を迎えました。この時はちょうど日本の新しい夜明けであり、真の意味での国家としての出発点でした。文鮮明先生は、明治維新から百二十年目に当たる一九八八年が日本の運勢のピークであり、それ以降は欧米の日本切り捨てにより危機に瀕することを、二十年以上も昔から予言されていました。

 第二次世界大戦後は、アメリカの保護のもとで、今日の繁栄を築きあげてきました。欧米に「追いつき追い越せ」と言いながら、馬車馬のように働いてきたのです。特に石油ショックを越えた一九七六年ころから八八年までの十二年間は、日本人自体も信じられないくらいに急速度に経済が発展していきました。誰もが日本の経済の将来を楽観し、明るい未来を夢見ていました。株や土地の価格は無限に上昇するものと錯覚し、市場は異常なほどに膨らんでいたのです。一九九〇年、株価の暴落をきっかけに一気にバブルは弾けてしまいました。不況の時代の到来です。国の勢いを経済だけで計ることはできないかもしれませんが、一つの指標になることは間違いありません。

 この不況に直面して、これまで日本経済を支えてきた基盤がいかに脆弱であったかをまざまざと私たちは思い知らされました。将来の経済発展の希望がなければ、企業は設備投資も先行投資も控えるでしょう。大半の企業がそう考えれば、経済全体が活性化する力を失い、限りなく縮み込んでしまいます。最近、日本の企業は生き延びることに精いっぱいで自信を失っているようです。企業の勢いが日本の国の力の源泉でした。企業が活力を失えば、国の勢いも失われます。文先生の予言のように、日本は衰退せざるをえないのでしょうか。

 予言には、必ず「そうなる予言」と、「そうならせないための予言」があると、私は理解しています。今回のこの予言は、おそらく後者であります。日本を衰退させてはならない。そのために天は文先生を通して、私たち日本人に警告を発しておられるに違いありません。


日本の奇跡的繁栄の意味

 日本が戦後の焦土の中から、これほどまでに奇跡的に繁栄を享受できたのは決して偶然の出来事ではありませんでした。アメリカの保護、韓国動乱による特需、日本人の勤勉さなどいろいろな要件が考えられます。これらすべてが最適状況で絡み合って、今日の発展が生じたのでしょう。そしてそれは決して偶然の結果ではありません。内村鑑三の言葉で言えば、日本の天職を全うするために天が与えた環境と言えるのです。

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』という短編小説があります。人を殺したり、家を放火したり、さんざんの悪事を働いた大泥棒の男の話です。彼は生きている時、悪事の限りを尽くしますが、たった一つの良いことをしました。ある日、林の中を歩いていた時、一匹の小さな蜘蛛を見つけます。男は足を上げて踏み殺そうとしましたが、思いとどまります。「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命をむやみに取るということは、いくらなんでも可哀想だ」。彼は蜘蛛を助けたのです。

 彼はその後、死んでやはり地獄の責め苦に遭って苦しみます。それを見たお釈迦様は、彼が生前行ったたった一つの善いことを覚えていて、彼を地獄から救うために、蜘蛛の糸を天上から彼のもとに垂らしてくれました。男は喜びます。この糸にすがって行けば、地獄を抜け出せるかもしれない、もしかしたら極楽までも夢ではない。必死に彼は細い糸を上っていきます。ところがふと下を見ると、何と数限りない地獄の罪人たちが、自分の上った後をつけて、蟻の行列のようによじ登ってきます。彼は思わず叫びます。「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。お前たちはいったい誰に聞いて、上って来た。下りろ。下りろ」。その途端、蜘蛛の糸はぷつりと音を立てて切れてしまったという話です。この小説は芥川が年少者向けに書いたもので、よく教科書などに掲載されていますから、ご存じの方も多いのではないかと思います。

 私はこの小説を書いた芥川の意図がどうあれ、今日の日本の状況を警告しているように思えてなりません。蜘蛛の糸は男にとって、お釈迦様が救いのために与えてくださった恵みです。男の所有物ではありません。その男の救いを通して、ほかの罪人たちを救おうとするお釈迦様の願いがあったのかもしれません。ところが男は、自分の物でもないものを自分の物と錯覚して、自己の幸福ばかりを願って、他者を顧みない利己主義の邪念が頭をもたげます。その時、糸は切れてしまったのです。

 今日の日本はどうでしょうか。戦後こんなに繁栄したのは、日本自体の努力だけでは説明しきれないものがあります。さまざまな要因が偶然に重なりあった結果であり、日本は運が良かったのだと片づけることは簡単です。しかし、運は運でも天運である可能性があります。もし日本が天運のゆえに繁栄したのならば、ことはそう簡単ではありません。日本の繁栄には意味があり、天命があるからです。この天命を知らずまた知ろうともせず、ただ繁栄による享楽をむさぼっているならば、かの男にあったように天運の糸は、ぷつりと音を立てて切れることでしょう。文先生が日本の将来を心配しておられるのはそういうことであろうと思われます。

 明治維新以降百二十年の日本の繁栄は天の責任において守られた期間であります。一九八八年以後の日本は、衰退するのではなく、実は日本自体の責任において天から与えられた使命を悟り、それを遂行する必要がある時期ということではないでしょうか。

 人間の人生にそれぞれ役割があるように、国家にも果たすべき使命があります。豊かさは天の恵みに違いありませんが、同時に重い責任を伴うものです。戦後の奇跡的繁栄は、天が日本に、ある使命を与えたと受け止めるべきであって、厳粛なものなのです。これを悟らなければ、天が日本を見離すという警告が文先生により発せられているのです。

 しかし、残念なことは、今日日本の多くの政治家、財界人たちは、蜘蛛の糸を自己の所有と錯覚した例の男のように、自己の利益のために汲々としています。九〇年のバブルの崩壊は天が日本に与えた天運の糸が切れる前兆でないとは決して言えません。


アメリカは日本を不信しつつある

 冷戦が終わって、今日世界に二つの顕著な特徴があるといわれています。一つは経済です。米ソ対立構造が崩壊した結果、地球規模の戦争の可能性がきわめて少なくなりました。そのため世界の指導者たちは、国の安全保障よりも、経済の発展に関心を向け始めました。

 もう一つは、地域主義の傾向です。ヨーロッパは、欧州連合(EU)を作り、EFTA(欧州自由貿易連合)国家や東欧諸国を巻き込んで、一つにまとまりつつあります。アメリカはカナダとメキシコとの間に北米自由貿易協定を成立させました。こうした経済主義と地域主義の傾向は、日本にとって有利に作用するとは必ずしも言えない面があります。むしろ、日本を孤立化させる可能性すらあります。

 冷戦時代、アメリカの第一脅威はソ連でした。しかし今日ソ連が崩壊し、ロシアはアメリカの脅威でなくなりました。むしろ、これまでアメリカの保護下にあって、軍事的支出を抑えて、経済大国になった日本がアメリカの第一脅威になっています。そのことは最近のアメリカの世論調査で明らかです。アメリカの一般国民は徐々に日本を警戒し始めています。そうした国民の対日感情をアメリカ政府は無視できなくなりました。最近の日米経済摩擦にはこうした背景があるように思えます。

 異なった文化と歴史を持つ国同士が貿易を行うのですから、摩擦は避けられません。自分だけが絶対に公平だと主張できる国もありません。例えば、自由貿易を標榜するアメリカは明らかに管理貿易としか思えない数値目標を押しつけようとします。それを日本は管理貿易だと非難します。しかし、そう主張する日本はきわめて閉鎖的です。自由貿易によるメリットを最も多く享受してきたのは、おそらく戦後の日本でしょう。それがあってこれほどの経済大国になれたのですから、今度は自由貿易によるデメリットも受ける気概がなければ、単なる日本の国家エゴと見られても仕方ありません。

 相手の問題点を相互に非難し合っても、何の問題解決にもなりません。要は、相互の問題点を解決するために何が必要なのかを忍耐強く求める姿勢です。それには相手との信頼関係の構築が不可欠です。この信頼関係は、相互の根気強い努力によって築かれるものです。果たして、日本はアメリカとの信頼関係を構築する努力をしているのでしょうか。

 もちろんアメリカの理不尽な要求に盲目的に追従することが、アメリカとの信頼関係を築く道ではありません。二十一世紀に向けた世界の将来ビジョンを描きながら、日本がどのような貢献ができるのかを明確にして、国家戦略を練ることがまず先決です。国家エゴを越えて日本が世界のためにできることをはっきりと主張し、その観点から時にはアメリカにノーと言い、時にはイエスと言うべきなのです。現在日本は場当たり的な判断を繰り返し、かえって世界から不信感を持たれてしまっています。日本が世界のために貢献できることに対し、日本自身が主体的に、積極的に取り組み、それを主張することがまず必要です。


隣国との間の信頼関係

 どの国も孤立しては存在できません。特に日本のような資源のない島国にとって、孤立化は生存を危うくします。ドイツの元首相シュミット氏は、「経済大国日本は本当の友人となる国を持っていない」と指摘したことがありました。戦後、日本人はわき目も振らずに働き、高度成長を続けてきました。その結果、国家として最も大切なことを忘れていたのかもしれません。それは友人を作ることでした。特に、経済的にも安全保障的にも、密接な信頼関係を作らなければならないのは、隣国です。アメリカが日本の存在を煙たく感じ始めた今日、日本は真の友人についていや応なく考えざるをえなくなりました。

 日本の隣国は韓国と中国であることは言うまでもありません。しかし、日本にとって不幸なことは、これらの国々の両方とも今世紀に入って日本から迷惑を被った被害者であるということです。過去の悪い記憶を持つ韓国や中国の人々にとって、日本に対する不信感はいまだ消えていません。状況が許せば、日本は再びこの地域を支配しようとするだろうという警戒心を持つ人は、韓国や中国に少なくないようです。

 加害者である日本は、そうした隣国の態度に腹を立てる資格はありません。むしろ彼らの対日感情を理解する必要があります。問題は彼らの怨念を解消させるような努力を日本がどれほどしてきたかということです。歴史を水に流そうとする日本と、歴史に限りなくこだわろうとする韓国や中国との間の溝はかなり大きいものがあります。しかし、その溝を埋める努力を加害者である日本自体が行わなければ、「東アジアの時代」は絵に描いた餅に終わるでしょう。

 地域主義が世界の潮流になりつつある現在、東アジアはまだそのビジョンも枠組みも作れずにもたついています。東アジアの核になるのが、日本と韓国と中国であるならば、何はさておきまずこれらの国々の間の信頼関係が最も重要です。経済交流も安全保障も相互信頼の上に築かれるものであるからです。

 ドイツは第一次、第二次の両大戦の戦争犯罪国家です。戦後ドイツは日本と同じように、国家を立て直すために経済成長に励みました。しかし、ドイツが行った努力は日本と全く異なるものでした。ドイツはヨーロッパの隣国との信頼関係を築くことを第一優先としたのです。そのために、ドイツはナチを徹底して追放しました。二度とこうした戦争は起こさないというドイツの強い意思を隣国、つまりかつての被害国家に示しました。

 次に経済相互主義です。ヨーロッパの国々との間で貿易不均衡を起こさないように神経を遣いました。フランスに百万ドル売れば、フランスから百万ドル買う努力をしたのです。経済的な脅威を与えないためです。

 戦争犯罪国家ドイツはヨーロッパで生き残るために、戦後、けなげな努力を続けてきたのです。ドイツ人はドイツ人であることを恥じ、ヨーロッパ人であろうとさえしました。こうした意識が、ヨーロッパ共同体構想を実現させた本質的な要素です。フランスを表に立て、ドイツはあくまで表に出ず、陰でフランスを支えながら共同体構想を推進してきたのです。ドイツは隣国を友人にすることに成功したと言ってもいいでしょう。

 日本はどうでしょうか。同じ敗戦国家であり、戦争の加害者である日本は、戦後経済的に発展したという面ではドイツと同じでも、そのあり方にはずいぶん差があります。日本は隣国に友人を作ることに無関心でした。シュミット氏がそのことを鋭く指摘できたのは、ドイツが戦後隣国に友人を作ることに心を砕いてきたからなのです。

 靖国神社に英霊を祭るのは、日本人として当然のことです。しかし、同時に考えなければならないことは、かつて日本の被害を受けた国々がそれをどう見るかということです。彼らは、日本は戦争を反省していない、またやるかもしれないと見るでしょう。フランスとドイツの関係で言えば、ドイツ人がナチを神として祭っているようなものなのです。英霊を祭る日本人にそんな意識がないと言っても、通用しません。日本はあくまで加害者であったことを忘れてはならないのです。

 また、日本は自国の企業を保護するため、輸入を徹底的に制限し、世界に日本の商品を輸出してきました。その結果が膨大な貿易黒字です。アジアの国々からは経済侵略だとも言われています。日本の発展は、隣国にかえって脅威を与え、友人を作りにくくしています。

 日本はこのことに気が付くのが少し遅れてしまいました。冷戦が終了して、アメリカの保護が徐々になくなりつつある今日、日本は隣国との信頼関係の重要性を悟らなければなりません。欧米が結託して、本気で日本を叩く日が来ないと誰が言えるでしょうか。文先生が危惧しておられるのは、欧米の日本切り捨てであることは先程述べた通りです。どのような状況になろうとも、絶対に不可欠なのは、隣国と信頼関係を結び真の友人を作ることです。


本当の危機は教育の危機

 九〇年以後株価が低迷し、日本経済は不況のどん底にあえいでいます。しかしそれは日本の本質的な危機ではありません。危機の前兆であり、一つの警告に過ぎないものです。最も深刻な危機は、教育の問題です。

 二十一世紀はあと数年で確実に訪れます。そしてその世紀は私たちの時代ではありません。私たちの子供たち、あるいは孫たちの時代です。子供たち、孫たちがどんな人間になるかが、二十一世紀を決めると言っても過言ではないのです。つまりどんな教育を私たち大人が子供に与えるかが、次の時代を決定するということです。

 私たちは、二十一世紀に生きる子供たちに何を残してあげられるでしょうか。高度成長を続けることによって得た財産だけだとしたら、あまりにも寂しい気がします。先日、北極圏に住むエスキモーの若い女性の記事が新聞に載っていました。彼女は、自分の祖父や父親から繰り返し繰り返し聞かされてきたことを語っていました。それは極地圏に住むエスキモーとしての誇りを失わないこと。そして人に対して常に奉仕をすること。この二つだったそうです。これが民族の伝統です。

 私たち日本人は、戦後死に物狂いで働き、確かに高度成長を達成しました。男たちは、企業に奉仕し、家庭と教育に関心を向けてきませんでした。「企業戦士」という言葉が出てきたほどです。しかし、大切なものを置き去りにしてきたようです。子供に残す精神的財産です。

 お金は人生にとって、大切な一つではあっても、絶対に大切な要件ではありません。その絶対に大切なものが何であるかを示すのが価値観です。私たち日本人の中で、自分の子供にこうした価値観を自信をもって教育している人がいったいどれほどいるでしょうか。この価値観は、言葉ではありません。生き方の問題です。自分の生き方を通して、子供に精神的な財産を残し、それが何代も何代も語り伝えられて伝統となります。戦後の五十年は、お金を得ることには成功しました。しかし、それは精神的財産の代償によって成り立っていたものであることに、そろそろ気が付かなければなりません。


高度成長の落とし子たち

 戦後、日本人は豊かになることを目標にしてきました。戦前の人々にとって、貧困はまさに恐怖でした。豊かになった今、私たちはどうしたらいいのでしょうか。

 このたびの不況は、企業戦士たちが自己の人生をもう一度考え直すきっかけになった面も少なくありません。それまで、残業に続く残業の毎日でした。しかし、不況は彼らから仕事を奪いました。残業する必要のなくなった戦士たちは、六時前後には帰宅するようになりました。彼らの多くは、その時家庭に自分の居場所がないことに気づいたそうです。夕方から家にいると、なんとなく妻や子供たちから邪魔者扱いされている自分を発見したようなのです。自分にとって、家庭とはいったい何だったのかを考え、深刻に悩んでしまいました。

 彼らは家庭の幸せのためにと思って、一生懸命働いてきたのです。しかし、ふと気が付いてみると家庭の中に自分がいない。妻や子供たちの心の中に自分が存在していないことに気づいて愕然としたのです。彼らはビジネスの戦場では勝っても、人生の戦場では敗北したのかもしれません。

 物質的な豊かさは、それを超える確かな価値観を明確に持っていないと、かえって悲劇を生むことになりかねません。企業戦士の話は、その一例です。しかし、もっと深刻な悲劇は、子供たちの問題として起こってくるということです。

 価値観を子供に植えつけるのは親の責任です。親から、人生において大切なものを生き方として教えられなかった子供は、快か不快かを判断の基準に置くようになります。価値観のない子供は、人間の原初的な欲求を満たすことだけに関心を向け始めるのです。しかし、人間社会を生きる上では、たとえ快であっても、やってはいけないことがありますし、不快であっても、やらなければならないことがあるはずです。それを教えるのが価値観です。

 最近では、財布に数万円を常に持ち歩いている中学生、高校生が珍しくなくなりました。彼らは日本の高度成長が生み出した落とし子たちです。彼らは日本の消費文化の中にどっぷり漬かってしまっています。彼らは一番欲しい物はお金だと、何の恥じらいもなく答えます。お金のために売春すら始める女の子も多くなりました。世の中にはそういうムードを、「進んでいる」と言って楽しむ傾向すらあります。日本は確実におかしな方向に向かっています。戦後貧困を逃れて、豊かさを追求するため、最も大切なものを忘れてきた歪みが、今になって噴出しているのです。


子供たちを取り巻く環境

 社会と学校と家庭が現実的に子供たちを取り巻く環境です。これらは健全な子供を育成する環境にはなっていないのが現状です。商業主義に毒されたマスコミは部数の拡大や視聴率の向上のため、性情報を氾濫させています。いまだ抵抗力のない子供たちは、こうした性情報により、必要以上の過剰な刺激を受け、心はむしばまれています。

 偏差値一辺倒の価値評価で測られる子供たちは、優秀な子であればあるほど受験地獄へと駆り立てられています。形の上では偏差値をなくしたとしても、依然として評価の中心は偏差値のようです。学校はそれに対してなすすべを持ちません。せいぜい土曜日を休みにするくらいが文部省の対策です。しかし現実は受験戦争に油を注ぐだけに終わるでしょう。子供の成長は知識だけで測れるものではありません。もっと全人的なものです。評価を偏差値に特化させることによって、子供にとってもっと大切な感受性、道徳性などを犠牲にしている傾向があります。

 こうした偏差値一辺倒の教育は、実は親に一番の責任があります。どんな子供になってもらいたいのか。自分たち自身が、人生の明確な目的を持たずに、豊かになるために一生懸命働いてきただけなので、子供に人生の目的を示してあげることができないのです。ただ一流企業に入ればいい。そんな低級な目的しか示しえない現状です。子供の無限の可能性を信頼し、ワクワクするような気持ちでそれを発見し、伸ばしてあげるような接し方がどうしてできないのでしょうか。

 また、先程の企業戦士のように、家庭は子供に温かいぬくもりを保証する場ではなくなってきました。学校で偏差値の競争で疲れ、塾でさらに厳しい追求と競争の嵐にもまれ、夜遅く帰る家庭は冷たい家庭だとすれば、子供はどうなってしまうのでしょうか。

 子供が大人になっていく過程において必要なものは、自立する精神と他者に対する思いやりの心です。これらは家庭において育まれていくものです。家庭における愛の欲求不満は、子供の自立を妨げます。愛されたいという幼児の衝動が常に付きまとうからです。自立の精神は愛する心です。親から愛され、愛の雰囲気の中で育った子供は、自然に他者を愛する心を持つようになります。それが思いやりの心でもあるのです。

 愛の欲求不満をいだき続ける子供は、社会の過剰な性情報の氾濫の中で、肉欲的な手段で欲求不満を満たそうとします。思春期にかかるころは特にその危険性があります。今の日本の社会は子供たちを保護する環境にはなっていません。私たちは、現在に生きていながら、未来に責任がある立場です。その責任は教育を通して果たされなければなりません。そしてそれは今生きているすべての者が背負うべき責務なのです。国家や社会はそのために最善の環境を準備しなければならないのは言うまでもありません。今日日本の教育環境は、日本衰退の本質的危機を示しています。今子供たちは病んでいるのです。ゆえに日本の将来は病んでいると言えるのです。



日本は母性国家たりうるか

日本文化の女性的性格

 二十一世紀を目前に控えて、日本の役割が様々な観点から論じられています。これまで、戦後日本はアメリカの大きな傘のもとに入れば、安全保障面でも経済面でもそれほど心配ではありませんでした。しかし、今日アメリカを脅かすほどの経済力を持った日本は、今までのような依存的な体質では通用しなくなっています。世界の平和と繁栄のために日本が果たさなければならない役割を日本自身が探る必要性に迫られているようです。そのためには、私たちが自分自身のことをもっと明確に知らなければなりません。自己の本質を知り、長所を伸ばし、欠点を補う努力が必要であるということです。

 そこで、まず私はここで、日本文化の特質はその女性的性格にあると述べてみたいのです。女性と言ってもいろいろいます。娘もいれば、妻もいます。そして母もいるのです。結論を言えば、二十一世紀において日本は、その女性的特質を生かして、「母性国家」となるべきであるということです。

 古来から、日本人の特質として、集団主義的傾向が指摘されてきました。稲作を中心とする農耕社会であったために、定住性と集合性が強かったためでしょう。その上、日本は島国であることも集団主義的傾向に拍車をかけてきたと言えます。こうした島国的集団主義は強い共同体意識を生み出し、同質性を確認しながら結びつき、力を合わせて農耕を行うようになったのだと思われます。その結果は個の自覚の消去です。

 集団に対する忠誠、また「公」への志向性は、私心を嫌う心性を生み出しました。集団への忠節と同質性の強調は、個を否定する文化を輩出しました。個性なき、主体性なき性格は日本文化の特徴となったのです。「自己否定の文化」と言ってもいいと思います。

 しかし、この自己否定は、自己の存在を超えた超越神に対する自己否定という宗教的感覚でもありませんし、個対個という人間関係の中における欧米特有の個の否定でもありません。自己が属する集団へのかかわりの中で個を否定しようとする没個性的、没主体的性格を持っています。

 こういう特質は、女性的性格と言えるでしょう。女性的とは、動的よりも静的、意志的よりも受け身的、論理的・抽象的よりも情緒的・感覚的な性質を言います。それゆえ、他人志向的、没個性的、没主体的な日本文化は女性的と言って差し支えないと思います。

 それに対して、文化の男性的性格とは、どんなものでしょうか。それは、宗教で言えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など一神教に見られる特徴です。これらの宗教は、明確な規範を持っています。神(父性として存在)の厳格な命令に人間を従えようとします。ある原則のもとに、集団、社会、国家をまとめていこうとします。その原則とは、あるべき世界の原理です。

 男性的、父性的性質が以上のものであるとするならば、日本の文化的特質とずいぶんかけ離れていることは、誰もが理解できることでしょう。あるべき理想を目指して、原理原則を主張する体質に日本人は馴染みません。何となく物事を曖昧なままにすませてしまう傾向があります。白黒の決着をつけるのを好みません。二者択一を迫って、血で血を洗う宗教戦争を繰り返したヨーロッパの歴史とはまるで違うのです。

 日本文化が女性的性格を持っていることは、天照大神(女性神)を神々の頂点に立てていることからもうかがえます。日本の神話では、この天照大神に非常に重要な意味合いを与えています。彼女は、太陽神として崇拝され、かつ高天原の統治者として、政治的リーダーの役割を担っていました。

 彼女は、伊邪那岐命の左目から誕生したとされ、鼻から誕生したのが須佐之男命という男性神です。この男性神は神話では、暴力的で、したい放題の悪行を重ね、泣きわめいたり、いたずらをしたりする存在として描かれています。ところがそうした須佐之男命の行為に対して、驚いたり、閉じこもってしまったりはしますが、一度も裁きをしたり、処罰をしていません。処罰をしたのは、八百万の神々で、集団合議の形で裁いているのです。日本の神話に描かれている天照大神には、裁くとか怒るとか罰するというイメージはありません。むしろ許し、あるいは包容するというイメージが強く出ています。

 このように、日本の神話では、女性神のほうが男性神よりも優位に描かれています。こういうことからも、日本文化の特徴は女性的であると思えるのです。

 これに対しては、反論もあります。特に、外国人や日本の女性たちの意見が多いようですが、例えば日本社会の侍文化あるいは軍国主義は、男性的文化ではないかとか、日本の歴史を見れば、男尊女卑ではなかったかという反論です。これに対して、京都大学名誉教授の河合隼雄先生は、社会システムとしては、男性的つまり父権的だが、心理的には女性的あるいは母性的だと言っています。例えば、侍というのも、お家のために頑張っている。一人ひとりが自分の生死について考え判断しているのではなく、「みんなと一緒」というところに絶対的な価値を置いていると論じています。つまり、集団主義的没個性が侍のメンタリティーを支配しているということであって、女性的だと言うことなのです。

 この河合隼雄先生は、以前からユング心理学の観点に立って、日本社会は母性原理が支配していると主張してきた学者です。また最近、アメリカで長い間教鞭をとってこられた長谷川晃教授(大阪大学)も、アメリカで生活した体験に基づいて、日本文明は母性の文明であると結論しています。また松本滋教授(聖心女子大学)も日本文化を支える日本的宗教は、多神教であり、それは母性的宗教であると論じています。このように最近日本文化の母性的性格を論ずる学説がずいぶん多くなってきました。

 実は、文鮮明先生は、五十年ほど前から、日本は女性国家(エバ国家)であると語ってきました。日本人の持っている美徳は、「忠孝の精神」であると言われ、常日ごろからそれを高く評価していたのです。

 例えば、日本には武士道があります。これはもともと戦国時代における武断主義から生まれたものなのでしょうが、結局は女性的日本風土に溶け込んで、その意味を変えることになります。主君を唯一絶対として、彼に没我的忠誠を誓う奉公人的色彩を帯びるのです。「武士道とは、死ぬことと見つけたり」とは、主君のために己をなくして、生きるのです。その逆説的生の表現が、切腹です。主君のためならばいつでも死ねる、だからこそ本当に生きているという、生の美意識が生まれるのです。主君のあり方より、臣下のあり方を徹底的に問うのです。忠孝の極致と言ってもいいかと思います。

 日本人の良さは、主体的に自己を主張することよりも、従順に従うことによって、むしろ発揮されてきました。良き国民は多くいても、良きリーダーが育ちませんでした。これも日本文化の女性的性格の故なのです。


和の精神

 日本文化の代表的なものに、「和の精神」があります。先程の河合隼雄先生は、日本を母性原理が働く母性社会と論じ、その母性原理の本質は、調和であると言っています。この調和こそ、「和」にほかなりません。

 この和を強調した歴史的人物が、聖徳太子です。彼は日本の歴史上の人物の中で、最も尊敬されている一人です。太子の生きた時代は、党派対立、裁判の不正、贈収賄など数多くの社会的問題が山積していました。彼は、これらの問題を単に政治的に解決しようとしたのではなく、個人の宗教心、道徳心の高揚によって打開しようとしました。

 彼が制定した十七条憲法は、まさにそのための教育・政治理念でした。第一条は「和をもって、貴しとなす」です。和の精神です。共同体の原理と言ってもいいでしょう。この「和」の根底には、自分が必ずしも真理を知り尽くした聖人ではなく、相手も必ずしも愚者ではないという意味があるそうです。「共にこれ凡夫(ただの人)のみ」という意識が必要だと言うのです。和を保つには、己を低め、相手を高めようとする意識が必要だということです。

 凡夫は仏教の言葉です。また和とは儒教の言葉です。太子は儒仏の精神を融合しながら、人の道を説きました。また、太子は熱心な仏教徒です。仏教精神を日本国民に広めた最大の功労者の一人です。その太子が十七条憲法の第一条で和の精神を説き、第二条で「三宝を敬え」と言って、仏法を敬うように述べたことは、無用な宗教的対立を避けたかったのかもしれません。日本古来の神道と仏教、さらには儒教との融合は可能であると考えていたのでしょう。

 こうした太子の伝統が、日本人の宗教意識に反映しているのかもしれません。結婚式は神道式、葬式は仏教、さらにクリスマスもお祝いする。西洋人から見れば、摩訶不思議な民族に見えるでしょう。貞操観念がない、いい加減な日本人ということになります。事実、そういう傾向があるのは否めませんが、善意で見て、日本人は心のどこかで、宗教は皆本質的には同じだと感じているとしたら、このいい加減さも、捨てたものではありません。

 おそらく、聖徳太子が、諸宗教の融合を図ろうとしたのは、宗教の本質は同じであることを見抜いていたからではないでしょうか。もちろん、現実の日本人は、太子のような深い洞察から、宗教的寛容さを示しているわけではありません。規範や原則を価値視しない女性文化的体質の故なのでしょう。

 しかし、これからの世界に日本のそういう体質が役立つ可能性があります。原理と原理の対立・闘争の歴史にそろそろ終止符を打たなければなりません。和の精神が求められています。しかし、この「和」が単に妥協と迎合であるならば意味がありません。対立する相互の原理の奥深くに共通する根本的原理を発見しようとする努力が相互に求められます。己を低め、相手を価値視する謙虚な態度を相互に身につける必要があります。まさに「共にこれ凡夫のみ」です。

 和の本質は、人間関係で言えば共感です。相手の事情と気持ちを共有できることが真の和をもたらすでしょう。人類が次の時代において、求められるのは、こういう和の叡知なのです。この叡知を日本人は伝統的に持ってきました。

 日本人は和の民族です。和に大をつけて、大和と言うくらいです。ところが、その良き民族の伝統を見失い、偏狭な集団主義に陥ってしまいました。日本はかつて、排他的なナショナリズムに陥り、隣国を蹂躙してしまったのです。しかし、これからは日本本来の和の精神を隣国との関係で、あるいは世界との関係で生かすべきです。

 個性を失わず、相手の事情を酌み取り、謙遜に、時には犠牲的精神で、国と国、宗教と宗教、文化と文化をつなぐ役割を果たすことができれば、日本はPKO(国連平和維持活動)などで貢献する以上の世界的貢献が可能となるはずです。それは単に女性国家というより、世界の母親国家としての日本の役割というべきものです。



日・韓・中の新しい関係

日本と韓国・中国に横たわる深い溝

 先程私は日本の伝統的「和」の精神を、自国民だけの連帯のためではなく、隣国との関係で、あるいは世界との関係で生かすべきであると述べました。日本の一番近い隣国が韓国であり、中国です。まず、これらの隣国との関係で、日本の和の精神を生かせないものでしょうか。

 これらの隣国は、ご存じのように「近くて遠い国」と言われています。歴史的に、最も因縁深い間柄であるにもかかわらず、日本が加害者となってこれらの国を蹂躙した過去が、心情的に遠くしているからです。怨念の溝が横たわっていると言っても過言ではありません。

 特に日韓の関係は深刻です。日露戦争以降第二次世界大戦の終了まで、日本が韓半島を植民地化した歴史は、韓国人の心の中に深い怨念を残してしまいました。そして、現時点での両者の不幸な関係は、大半は加害者である日本側に責任があるように思います。過去の事実を正当化したり、あるいは無視したり、忘却したりする態度が、しばしば日本人に見受けられるからです。

 日本人は、過去を水に流す民族です。しかし、被害者は水に流されてはたまらないと考えます。このギャップが教科書問題や、日本の政治家の不用意な発言問題に表れています。日本は、もう過去の過ちを正当化したり、責任転嫁したりすることをやめて、率直にその非を認め、素直に謝るべきなのです。人間関係の常識が、国家関係においても通用しないはずがありません。

 韓半島を支配した軍部をはじめとする日本人は、あまりにも傲慢でした。彼らの統治政策はいわゆる「皇民化政策」です。韓国人を日本人つまり天皇の臣民にするという政策です。それも「劣等な朝鮮人を高級な日本人にしてあげる」という思いあがりの気持ちがあったといわれています。日本語を強要したり、名前を日本名に変えさせたり、神社参拝を強制したりしたのは、日本人の善意の押しつけでした。日本人にさせてあげるのだから、ありがたいと思えということなのでしょうが、韓国人から見れば、よけいなお世話だということになるでしょう。

 戦争が終わって、日本が敗れたと知った時、韓国人がまず何をしたかというと、軍の本部を襲うということではなくて、日本人が建てた神社を焼き払ったそうです。よほど腹に据えかねていたのでしょう。こういう歴史があったことも、韓国人がどういう気持ちだったかということも、日本人の大半はすっかり忘れてしまっています。否、教えていないのですから、本当に知らないのです。ですから、韓国人の怨念は晴れることがありません。

 日本人の和の精神は、調和の原理です。調和の本質は、共感であると述べました。相手の立場に立って、考えてみることです。相手の痛みをわが心の痛みとする心は、本来日本人の美徳とするところなのです。しかしその和の精神は、不幸なことに隣国との関係では発揮されませんでした。

 『韓国論壇』代表の李度氏は、日本での講演でこんなふうに述べています。

 「第二次世界大戦の時、アメリカは多数の日系人を強制収容所に集団監禁しました。そのことを自ら告発したアメリカ人が現れた時、日本のジャーナリズムは拍手喝采を送りました。日本人以外のアジア人は、日本人もこのアメリカ人と同じような良識を発揮し、自ら犯した過誤に対する自責の行為をみたい」

 そして、さらに李氏は、日本人がもし威厳を持って歴史の本当の記録を認めるなら、我々アジア人は惜しみない拍手喝采を送るだろうと語りました。

 日本人は、アメリカが日本に対してなしたことに敏感であるならば、日本人が隣国に対してなしたことにも敏感になるべきです。されたことには敏感で、したことには鈍感だとすれば、日本はエゴイズム国家だと断定されても仕方ありません。

 李氏はこう結んでいます。「日本人が本当の歴史を認めるまでは、日本人は彼らの隣人たちから信頼を得ることは絶対期待できませんし、日本人がいくら平和愛好国民たることを自己宣伝しても、日本は隣人たちが日本に抱く恐怖と脅威のイメージを拭い去ることはできないでありましょう」

 日本人の中には、日本が植民地化しなければ、ロシアが韓半島を占領していたとか、日本が統治していたおかげで、今日の韓国の発展があったという人もいます。しかし、日本はあくまで加害者であることを忘れてはなりません。足を踏んだ者はまず、足を踏まれた者の痛みを感じ、素直に謝ることが必要です。

 隣国の怨念を解く道は、まず素直に過誤を認めることです。そして、真心を込めて尽くしていく以外に方法はありません。これは人間関係でも同じです。親や兄弟、親族が日本人から殺されたという人がたくさん韓国には存在します。そういう人に対して、怨念を解くのは、どんなに罵倒されようとも、足蹴にされようとも、真心を込めて尽くすこと、これ以外にはありません。傷つけられた隣国の人々の心を思って、涙するような心情があれば、やがて韓国人の心を溶かして、心を開いてくれるものだと私は確信しています。

 謝りすぎたら、必要以上に補償を請求されると心配をする人が多いのですが、それはあまりにも政治的すぎます。政治を動かすのも、やはり人間の心でなければならないはずです。補償問題を心配する前に、隣人と共有する心があるかないかをまず心配すべきです。隣国に真の友人を持てない現実を心配すべきなのです。


日韓中連帯の方策

 韓国の国際的な地位が一九八八年のオリンピックを境に破格的に上がってきています。経済的な発展もめざましいものがあります。造船、鉄鋼という日本の得意分野も最先端産業である半導体なども、韓国の激しい追撃に遭い、日本の業界は悲鳴を上げています。

 また、中国の経済的発展も世界の脚光を浴びています。二十一世紀は中国の世紀と言う学者も現れました。人口十数億という巨大市場に、世界中の企業が進出の足がかりを探っています。

 これまで、日本はブーメラン効果を恐れて、韓国や中国に対して、技術移転を怠ってきました。しかし、もうそういう姑息な態度では、日本の将来は暗澹たるものになりかねません。日本がいくら隠しても、他の国から学んで自分のものにしていくに違いないのです。だとすれば、日本はもっと積極的に日本の技術を韓国や中国に移転して、水平分業を進め韓国や中国と共存共栄の道を考えるべきです。そうなれば、東アジア地域における経済統合、あるいは地域統合も夢ではなくなります。また世界は東アジアを無視することができなくなります。

 日本だけが相手ならば、世界はくみやすしと見るでしょう。自己主張の弱い日本は、世界に通用する論理と言語で語ることに不得手です。それに隣国から信頼されていない日本は、東アジアを代表することができません。しかし、韓国や中国との関係で信頼を勝ち取り、運命共同体として、共存共栄の道を歩み始めたら、話は別です。次の時代の日本の外交戦略は、東アジア、その中でも特に韓国と中国との関係を機軸に据えるべきです。

 一九八一年十一月、文鮮明先生は、世界の科学者を集めた「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」の中で、国際ハイウェイ構想を提唱されました。この構想は、まず日本と韓国をトンネルで結んで、中国からアジア、ヨーロッパ、アフリカへ、さらにはアメリカ、南米へと続く世界的な国際ハイウェイ網を建設しようというものです。それでまず日本から大陸に向けて、日韓トンネルの掘削工事が開始されています。

 日本と韓国が怨念を超えて連帯するには、相互の努力が必要であるとともに、共通の目標が必要です。共に手を携えて、未来を作る方向に一歩踏みだそうということです。陳腐な言葉になってしまいましたが、いわゆる「未来志向」ということです。この未来は、過去を忘れることによって、もたらされるものではありません。過去を謙虚に反省し、清算することから来る未来です。

 文先生は、韓国人にはいつも「過去を忘れよ」と指導します。しかし、日本人には「過去を謙虚に反省しろ」と指導しています。そして、共に手を携えて未来を作る共同作業として、日韓トンネルを提唱したのです。これは民間の一宗教団体ができることではありません。両方の国家が国を挙げて取り組むべき課題です。かつて、新渡戸稲造は「太平洋の懸け橋とならん」と言って、日本の国際化に貢献しました。今は、「玄界灘の懸け橋」ならぬ「日韓トンネル」が必要です。

 もし、日韓の間で、共同の目標を中心として連帯することができるならば、日韓を核にした東アジア地域の経済統合も、決してタブーでも夢物語でもなくなります。そしてその先には、政治統合すら見え始めるのではないでしょうか。

 『第三の波』という著作で有名なアメリカの未来学者アルビン・トフラー博士は、日米関係に言及して、大胆な提案をしています。政治面での日米間の交流と、その結果としての政治統合を提案しているのです。例えば、それぞれの議会に代表を送る「相互代表制」は一案だと言っています。

 かなり現実離れしている提案ですが、経済のグローバル化に対応する政治のグローバル化を進めることは、遠からず必要になるはずです。我々はそれを日米の関係でまず模索するとともに、日韓あるいは日中の間で探ってみてはどうでしょう。日韓あるいは日中の「相互代表制」など夢みたいな話ですが、何事も夢から始まるのです。夢を見なければ、未来を作ることはできません。「未来志向」とは、問題を先送りすることではなく、過去を清算し、未来の夢に向かって、着実に一歩ずつ現実を改善していくことなのです。






久保木修身回顧録「愛天 愛国 愛人」目次へ